「令和」の発祥の地、福岡県太宰府市の「坂本八幡宮」に行ってみた!

坂本八幡宮
明太子くん
明太子くん

新元号「令和」の典拠となった万葉集の「梅花の歌」が詠まれたとされる福岡県太宰府市の坂本八幡宮に行ってきました!

2019年4月1日に新元号が「令和(れいわ)」である、と発表されました。

令和は、万葉集の「梅花の歌」三十二首の序文から取られ「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つ」という意味を込めた、と安倍首相から説明がありました。

坂本八幡宮は「令和」の発祥の地

坂本八幡宮は、大伴旅人が「梅花の歌」を詠んだ「梅花の宴」を開いた邸宅跡とされており、いわば令和の発祥の地なのです。

坂本八幡宮とは

坂本八幡宮縁起
 この坂本八幡宮は土地神・・産土神として崇拝されている神社で応神天皇を御祭神としています。
 「圓満山四王寺縁起」によれば「嵯峨天皇弘仁二年(八一一)辛卯二月勅宣にて四王院に釈迦仁の像を造立し有智山寺の沙門鳳詮法師及行願具足の僧十一輩を移し開眼供養を遂げられ水田五十町を寄附し給ふ。鳳詮法師は坂本に住して善正寺と号す。又坂本坊と呼り。」とされ、平安時代にはこの坂本の地に四王寺の座主坊としての善正寺が成立していたとされています。
 坂本にあったこの寺は中世は天台宗の寺院で、本山の比叡山に習い九州の天台系寺院には境内に八幡宮を祭る形が多く見られます。
 当社の勧請時期は「福岡県神社誌」(一九四四年刊)の記述によれば「天文・・弘治の頃」(一五三二~一五五七)の戦国時代とされていますが、おそらくこの頃に寺院が廃れ土地を経営する現在の坂本区の原型となる村落ができ、その村の鎮守として寺の境内にあった社が再興されたものと考えられます。
 境内入口南側にある「がらんさま」と呼ばれる立石は天台寺院の故地によく見かけられ、寺の中心地や結界となる境に置かれることがあるようです。
 この場所が大字の境で「辻」という小字であることも、当社の鎮守としての性格を表しています。
 古代には太宰府や九州を守護する寺であった四王寺が形地を変えながら、現在では坂本区の鎮守として生き続けています。

歌牌には、

『わが岡に(わがおかに)

さ男鹿来鳴く(さおしかきなく)

初萩の(はつはぎの)

花嬬問ひに(はなつまとひに)

来鳴くさ男鹿(きなくさおかしか)』

【太宰帥 大伴旅人(ざだいのそち おおとものたびと)】

と書かれています。

 

大意は、

『私の住む岡に牡鹿が来て鳴いている。今年初めての萩の花が咲き、牡鹿がやってきて妻問いをしていることよ。』

とのことです。

この辺りは、太宰帥大伴旅人の邸跡と伝えられていることが書かれており。

『旅人邸は、「万葉集の華」ともいうべき梅花の宴が開かれた場所としてよく知られているが、赴任後間もなく妻を亡くした旅人の暮らしは心淋しいものであった。
萩の花が咲き初める初秋、牡鹿(おじか)が牝鹿(めじか)を求めて鳴く求婚の甲高(かんだか)い声にも、妻を想う自分の心を重ねずにはおられないのであった。』

とも書かれております。

坂本八幡宮の歴史

坂本八幡宮の歴史が描かれています。

神戻しの行事も行われているようです。

坂本八幡宮の御朱印

五月の改元をめどに準備中とのことです。

八幡宮のおふだは初穂料八百円で授与されるとのこと。

坂本八幡宮の場所

〒818-0133 福岡県太宰府市坂本3-14-23

坂本八幡宮の駐車場

神社目の前に駐車場は有りますが、新元号「令和」の発表後大変混み合っています。

坂本八幡宮まとめ

坂本八幡宮の近くに住む知人にお話を聞くと、小さいころ遊んでいた坂本八幡宮がこんなに話題になるなんてビックリだ!しかし、誇りに思うとも言っていました。

新元号「令和」にゆかりのある縁起の良い地、「坂本八幡宮」の近くにお越しの際は是非、参拝されてみてください。

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